倉持哲雄
(くらもち てつお)
●ギャラリー⇒主なイラスト等展示ページ
●今までのお仕事
学研 講談社 東京都・都政50周年記念事業 キャラクターデザイン・原画(東京都庁1階にて開催)
●受賞
「埼玉スーパーアリーナ」完成記念事業として開催の
世界バスケット・ヤングメン大会のキャッチフレーズ募集にて、最優秀賞・キャッチフレーズに選ばれる。
大会は スカパー(スカイパーフェクTV)で放送。
決勝戦に ご招待を受け、
スイートバルコニー席にて観戦させて頂き、
たいへん感激いたしました。
▼協賛していたコカ・コーラの自動販売機に
当時、貼られていた、大会のステッカーです。
キャッチフレーズは、大会ポスター、チラシ型パンフレット、ポケットティッシュなどに活用されました。
週間少年ジャンプの「手塚治虫賞」に応募
400人超の応募の中から 最終候補、10人に選出されたが、入選ならず。
ありがたいことに、その後
デビューのお誘いを何度もお受けしましたが
マンガを見たり描いたりすることは大好きでしたが
漫画家を志してはいませんでした。
子供のころから、かわいい絵柄から劇画、リアルな絵まで
幅広く描くのが大好きで、風景画、似顔絵、肖像画も描きました。
現在、
ペンネームにて活動しております。
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ふるさと創生事業が 各県で行われているころ、
佐野市に合併する前の 田沼町で
「地元のむかしばなしを マンガにする計画」が
立ち上がりました。
役場 (地元の教育委員会)で マンガの書き手を探していたとき、
たぬまの司法書士の 井上さんが、
私が
(地元の現・あそ商工会さまからのご依頼で)
「たぬま・ふるさと祭り」の チラシ兼ポスターを
毎年かかせて頂いているのを気に留めてくださっていて、
私はどうかと、役場のかたに すすめてくださったのが
きっかけでした。
当初、「たぬま歴史ものがたり」が仮称で
たぬまに、30編もある昔話(民話)の中から
9つを厳選し、
キャラクターデザインや
絵目次など、参考となる絵を提出しました。
わたしの製作が決まると
半年間の激闘が待っていました。
●1作品 3週間で!
しめきりは 半年後。
間に合わせるためには 1作品を 全工程3週間で終わらせることが必須で
1日、みじかくても15時間、書き続ける日々が始まりました。
現地での取材・資料本での調査、あらすじづくり、キャラクターデザイン、
ネームづくり(コンテきり)を 1作品・1週間で完了させ
したがき⇒ペン入れ、薄墨での塗り
写植(書体)指定などを
2週間で終了させる。
スクリーントーンを 貼ったり削ったりしていては
時間がかかるので、
薄墨で(墨汁を 水でうすめて塗り)手間を省きました。
●1行??\(◎o◎)/!
民話によっては、たった1行や 3行ぐらいしか文章がないものがあり
いかに おもしろい要素を入れて ふくらませるか
アイディアをしぼりました。
●絵柄について
町の 全家庭にくばられるというので
あまりマンガを読まれない層のかたがたにも受け入れて頂けるような、
やわらかい絵柄を選び
かつ、
《半年後のしめきりに間に合わせるために》
できるだけ 絵を簡略化しました。
●読んでしまう!!(^_^)
資料として、図書館から 特別に許可を得まして、
1度に20冊以上お借りしていました。
(2週間ごとに返却です)
明治時代など むかしの写真や文章に ついつい夢中になり、
時間がおしてしまう時もありました。
「これは ちゃんと終わるのかな?」
と 不安と、
限られた時間の中で ベストを尽くそうとの
積極的な気持ちとが混在していました。
●こんなにすばらしい自然があったなんて!
製作途中、あまり踏み入ったことがない、
田沼の奥地を歩きました。
父の案内で登った山の奥に
流れ落ちる 三滝を見つけたときの感動は 今も忘れません。
こんなにも 田沼の自然が美しかったのかと気づき
「炭谷の火の玉」という作品では
原文にはない 少年たちを登場させて、
田沼の自然や名所を回らせるマンガに味付けしました。
お読みになられたかたは
おわかりになったと思いますが、
その少年たちは
ドラえもんの、のびた君と、その友達を意識したキャラたちで、
それぞれの名前
「みち」 「とのきち」 「そうた」 「ぐーすけ」
は、
スピルバーグの映画タイトル 「未知との遭遇」
を もじったもので
「町の 素晴らしい自然や文化との出会い」
を重ねました。
苦しい中にも 発見と成長ができた、実りある半年間でした。
この場をお借りしまして
協力して頂いた方々に 厚くお礼を申し上げたいと思います。
役場(現・田沼庁舎)に 私をすすめてくださった 井上さま。
企画・ご協力を頂いた 元田沼町 町長、小玉新さま。
監修をしてくださった、片柳先生。
元田沼町教育委員会、歴史物語検討会のみなさま。
役柄的にも 部下にも厳しくされ
「ものごとは、早め早め、先手先手でいかなければならん」とおっしゃっていたのが印象的だった、木村課長さん。
苦しい製作時期、笑顔で 製作をともにしてくださった
役場の練生川さん。前原さん。
写植、印刷に ほがらかに尽力していただいた、
あそ印刷さま。
インタビューのとき、すごくやさしく対応してくださり
のちに私の家を通りかかったとき
車をおりて
笑顔で駆け寄ってきてくださった ラジオ・CRT栃木放送の渡辺さん。
新進気鋭など、色々な文章で 記事を飾ってくださった
各新聞社のみなさま。
資料にと、さまざまな昔話の本を提供してくださった
わたしの叔母、政子さん。
現地への取材に同行して 何かと協力してくれて
原画展も取り仕切って
気持ちを奮い立たせてくれた 私の父。
食事や身の周りの世話をして 気持ちを癒してくれた 私の母。
多くの人々のお力添えがあって 完成しましたことを
厚く厚く、御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
倉持哲雄 |